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耐え忍んで走ろうではないか

 

試練や苦しみにどのように向き合えばいいのか

1.神がお許しになる試練には目的があることを信じる
2.すべてのことは私たちにとって益となることを信じる
3.信仰によって、試練を喜んで受け止める
4.祈りによって試練を神にゆだねる
5.神が逃れる道を備えてくださることを信じる

6.自分一人ではないということを覚える
7.試練のうちにあって神が共にいてくださることを信じる
8.すべてを神の御心にゆだねる

9.神はあなたを信頼しておられるという事実に慰めを得る

10.上を見上げよう!すべてのことは明らかになる

使徒は、信者が試練や苦難に向き合う時に、堅く立っているようにと励ましました。「愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむことなく…」(ペテロの第一の手紙4:12,13;ヘブル12:3参照)

1.神がお許しになる試練には目的があることを信じる [Top]

神は「心から人の子を苦しめ悩ますことをされないからである。」(哀歌3:33)神が試練や苦しみをお許しになるとき、それは「私たちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである」(ヘブル12:10)

「ある夜、深い苦しみのために落胆している男性が庭を歩いていた。そこで彼は、ザクロの木がほとんど幹まで切り通されているのを見た。非常に不思議に思い、彼は庭師にその理由を聞いたのだが、その答えは、自分の心の血が流れるような痛みをも説明するようなものであった。庭師は言った、この木は以前、非常に強く枝が茂り、そのために葉以外の何も生りませんでした。それで、このように木を切り通さなければならなかったのですが、それがほとんど切り通されたとき、この木は実を生らすようになったのです。

「私たちの悲しみは地から生まれるのではない。すべての苦しみのうちに、神は私たちの益となるような目的をもっておられる。偶像を破壊するあらゆる打撃も、世へのつながりを弱め、神への愛情をより堅くするあらゆる摂理も祝福なのである。刈り取られる過程は痛みを伴うが、それによって「義の実を結ぶ」のである。良心を刺激し、思いを高め、人生を高尚なものとすることは何であっても感謝を持って受けるべきである。実を結ばない枝は切り落とされ、火に投げ入れられる。刈り取りの過程は痛みを伴ったとしても、生きたぶどうの木とのつながりを保っていられることを感謝しよう。キリストともに苦しむなら、またキリストとともに支配するのである。私たちの信仰を最もひどく試み、神に見捨てられたように思わされる、まさにその試練によって、私たちは神に最も近づくのである。そして、すべての重荷をキリストの足元に置き、それと交換にキリストがお与えになる平安を経験するのである。…神は、被造物の中のもっとも弱い者を愛し、心にかけておられるのであり、その愛を疑うことほど神のみ名を汚すことはない。暗闇と試練の中にあって神を信頼する、生きた信仰を養おうではないか。」                   (My Life Today)

2.すべてのことは私たちにとって益となることを信じる [Top]

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちとともに働いて万事を益となるようにして下さる…」(ローマ8:28)との約束は真実です。

「すべてのこと」--「いくつかのこと」でもなく、「ほとんどのこと」でさえなく、すべてのことが益となるのです。「すべてのこと」には、落胆、悲しみ、病、痛み、貧困、困難、失望、中傷など、私たちが人生のうちで、ひどいと思うすべてのことが含まれます。

「キリストの霊で満たされている者は、キリストのうちに宿る者であり、その人に起こることはすべて、その臨在をもって彼を囲む救い主から来るのである。主の許可なしには何ものも彼に触れることはできない。すべての苦難、悲哀、誘惑、試練、あらゆる悲しみ、不幸、また迫害、貧困、いわばいっさいのものが、私たちの益となってともに働くのである。あらゆる体験や境遇が私たちを益するために用いられる神の働き人である。」                        (ミニストリー・オブ・ヒーリング)

3.信仰によって、試練を喜んで受け止める [Top]

使徒パウロは、試練を喜んで受け入れるよう私たちを励ましています。彼は自分の「肉のとげ」を、自分が高慢になるのを防いでくれる神からの贈り物とみなしていたので、その試練を喜んで耐え忍びました。

「そこで、高慢にならないように、私の肉体にひとつのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、私を打つサタンの使いなのである。このことについて、私は彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた『私の恵みはあなたに対して十分である。私の力は弱いところに完全に現れる。』それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、私はキリストのためならば、弱さと、侮辱と、機器と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからである。」(コリントU12:7-10)

「絶えがたく思われる試練も、信仰を持って受けるならば、祝福であることがわかる。この世の喜びを砕く残酷な一撃も、私たちの目を天にむける手段となる。悲しみが彼らを主にある慰めに導かなかったならば、イエスを知らないままでいる人がどんなに多いことであろう。

生涯の試練は、私たちの品性から不純で粗野なものを取り去る神の職人である。切り出され、角材とされ、削られ、刻まれ、磨かれるのは苦しい工程である。といし車に押し付けられるのはつらいことである。しかしこうして石は天の神殿に置かれるように整えられるのである。主は無用の材料に対しては、こんな注意深い行き届いた手間をかけられない。主の尊い石のみが宮の型に倣って磨かれるのである。」                      (祝福の山)

4.祈りによって試練を神にゆだねる [Top]

使徒パウロは「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」(ペテロT5:7)と信者に勧めています。

「どんな心配ごとや試練があっても、その問題を神の前に打ち明けなさい。あなたの精神は忍耐力を持って強められる。困惑や困難から抜け出る道が、あなたのために開かれる。自分が弱く、力のないことを知れば知るほど、キリストの力によって、もっと強くなるのである。荷が重ければ重いだけ、荷を負ってくださるお方にこれをまかせて休むことが嬉しいのである。

境遇は友と別れさせ、広い海の不安な水がその間に波打つかもしれないが、どんな事情も距離も、私たちを救い主から離すことはできない。どこにいても、キリストは私たちの右に立ち、私たちを支えたもち、擁護し、励ましてくださる。ご自分があがなわれたものに対するキリストの愛は、母が子を愛する愛にもまさって大きい。『彼はわがためにその命を与えたまいしにより、われは彼により頼まん』といって、その愛に安んずることは私たちの特権である。人間の愛は変わるかもしれないが、キリストの愛は変わることを知らない。助けを求めてキリストを呼ぶならば、そのみ手は私たちを救うために伸ばされる。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング)

「イエスは私たちの友です。全天は私たちの幸福を願っています。日常生活の困難、または、労苦に悩まされることがあっても、失望してはなりません。もしそうしたことを気にしていれば悩みの種はいつまでも尽きないのです。心配してはなりません。それはただ、私たちを悩まし疲れさせるばかりで、試練に耐える何の助けにもなりません。

仕事上いろいろの困難が起こり、前途はますます暗くなり、損失が目前に迫ることもあるでしょう。しかし失望してはなりせん。心配をみな神に任せて、平静、快活にしていましょう。賢く物事を処理できる知恵を神に祈る時、損失、失敗をふせぐことができるのです。よい結果をもたらすように、全力を尽くして自分の分を果たさなければなりません。イエスが助けを約束されたからといって、何も努力しなくてよいというのではありません。私たちの助け主により頼んで最善を尽くしたならば、結果は何でも喜んで受け入れましょう。

神の民が心配ごとをいだいて心重くしているのは神の御心ではありません。主は私たちを欺いたりはなさらず、『何も恐れることはない。前途には何の危険もない』とは言われません。試練や危険があることをよくご存知で、はっきりとそのように言ってくださいます。民を罪と悪の世から連れ出されるのではなく、決しておちることのない、逃れの場所を示してくださるのです。イエスは弟子たちのために『私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守ってくださることであります』また『あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている』(ヨハネ17:15,16:33)とお祈りになりました。」(キリストへの道)

5.神が逃れる道を備えてくださることを信じる [Top]

聖書には、「あなたがたのあった試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないよな試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えてくださるのである。」(コリントT10:13)とあります。

「天の父は、私たちが想像することさえできない、何千もの道を備えておられる。神の働きを最高のものとみなす原則を受け入れるものは、いろいろな困難が消滅し、平らな道が開けてゆくのを発見する。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング)

神は、試練のない人生を約束してはおられません。そうではなく、試練に打ち勝つことのできる力を約束しておられるのです。私たちの救い主は、「あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と言われました。私たちの試練が何であれ、神は私たちを助けるための恵みを約束しておられます。「私はあなたを強くし、あなたを助け」る(イザヤ40:10)と言っておられます。アニー・フリント・ジョンソンはこのような詩を書きました。

神は空がいつも青いとは約束されなかった
花の咲く道はいつも私たちの周りにある
神は雨の降らない日だけを約束されなかった
悲しみなしに喜びはなく、痛みなしに平安はない

しかし、神は日ごとの力を約束された
労働の後には休みを、道には光を
試練には恵みを、上からの助けを約束された
やむことのないあわれみ、絶えることのない愛を約束された。

6.自分一人ではないということを覚える [Top]

あなたが今歩んでいる道を、今までにも偉大な信仰者たちが歩んできたという事実を思い出し、励まされましょう。これらの人々は信仰の英雄としてヘブル書11章に書かれています。彼らは、時代を通して勝利を勝ち取ってきた者たちであり、いつか神のみ座の前に立つ人々なのです。

「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神のみ座の前に下り、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。み座にいます方は、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、渇くこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。み座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、命の水の泉に導いてくださるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとってくださるであろう。」(黙示録7:14-17)

使徒ヨハネは自分のことを「共に苦難…にあずかっている」者と呼んでいます。「イエスご自身が、血の滴る跡を残しながらこの困難な道を歩まれた。そして、使徒、預言者、信仰を告白する者、殉教者たちも同じ道を通ってきた。他の者たちも同様に暗い谷を旅してきたこと、勝利のしゅろの葉を携えて神のみ座の前に立つおおぜいの群集も、大いなる患難から出てきたものたちであることを知るのは大きな慰めです。彼らの通った道を私たちも通っているのであり、神の恵みによって、彼らの通るであろう道を私たちも通るのである。(マイヤー 苦しみの贈り物)

7.試練のうちにあって神が共にいてくださることを信じる [Top]

試練に直面する時、私たちは決してひとりではありません。「恐れるな、私はあなたをあがなった。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のものだ。あなたが水の中を過ぎるとき、私はあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。」(イザヤ43:1,2)

「私たちには、どんな試練の時にも、決して裏切られることのない助け主がある。種は、私たちが誘惑に抵抗し、悪と戦い、ついには重荷と悲しみに押しつぶされてしまうがまま、放っておかれない。今は、イエスは人間の目からかくされているが、信仰の耳はイエスのみ声が、「恐れるには及ばない、私があなたと一緒にいるのだ」と言われるのを聞くことができる。「(私は)また、生きている者である。私は死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である」(黙示録T:18)。私は、あなたの悲しみに耐え、あなたの戦いを経験し、あなたの誘惑に会った。私はあなたの涙を知っている。私もまた泣いたのである。人間の耳に聞かせられないほどの深い悲しみを私は知っている。あなたは、自分が打ち捨てられた孤独な人間だと思ってはならない。この地上にはあなたの苦しみを心の琴線に感じてくれる人がなくても、私を見、そして生きなさい。「『山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない』とあなたをあわれまれる主は言われる」(イザヤ54:10)。」(各時代の希望)

「人間の助けに頼ってはならない。人間を超えて、わたしたちの悩みを負い、悲しみをにない、必要を満たすため、神に立てられたお方をながめなさい。神をみ言葉のままに信じ、働きがあり次第それにとりかかり、断固とした信仰を持って前進しなさい。キリストが共にいてくださるという信仰によって、力と、確固不抜の精神が与えられるのである。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング)

8.すべてを神の御心にゆだねる [Top]

私たちの主ご自身が、試練にあったときにどのような態度をとればよいかの模範を示されます。ゲッセマネの庭で、主は「父よ、御心ならば、どうぞ、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の思いではなく、御心がなるようにしてください」と祈られました。(ルカ22:42)

「すべて苦しんでいる者は、同様に『私のではなく、あなたの御心がなりますように御心が天で行われるように、地に住む私の人生にも行われますように。私はあなたの御心を選びます。』と言おう。これをよく考えたうえ、注意深く言おう。十字架の道が愉快なものだからではなく、正しいものであるからそのように言おう。痛みの波が襲ってくる時、傷口から血が噴出す時、何度もくり返してそう言おう。私のではなく、あなたの御心が行われますように。神に向かってはい、と言おう。『あなたの目によいことであれば、そのようにして下さい』」(マイヤー)

すべてのことについて、「私のではなく、あなたの御心が行われますように」と言えるようになろう。神の御心にすべてをゆだねることが、聖書の言う「清め」なのである。

「清めとは、神の御心にすべてを明け渡すことであり、神の口から出る一つ一つの言葉で生きることである。それは、天の父の御心を行うことであり、光の中にいるときと同様に、試練の中、暗闇の中にあって神を信頼することである。それは、目に見えるものによってではなく、信仰によって歩むことであり、疑いのない確信をもって神により頼み、またその愛のうちに休むことである。」(神の子たち)

「神の賢明な訓練にゆだねられた心は、その摂理の働きのすべてに信頼する。…神の私たちに対するご計画が完全な成功を収めるために、私たちの考え出した計画が失敗することが多々ある。私たちの希望を打ち砕いてきた様々なもつれや不可解な出来事に説明が与えられるのは後の日のことである。その時、私たちは自分らの祈りやあることごらに対する希望がかなわないでいたことが、実は最大の祝福であったことを悟るのである。」

神の導きと、神への奉仕に自らの人生をゆだねた者は、決して神が備えられない境遇におかれることはない。状況が何であれ、私たちがみ言葉を行う者であれば、私たちにはその道を導いてくださるお方がおられる。どんな困惑に遭遇しても、確かな相談相手があり、どんな悲しみ、死別、孤独の中にあっても私たちには同情深い友がいるのである。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング)

9.神はあなたを信頼しておられるという事実に慰めを得る [Top]

ヨブ記1,2章のヨブの試練の物語は、神が私たちを信頼しておられることの表現として、私たちの人生に試練を許されることを教えている。神はヨブを信頼することがおできになることをご存知だったのである。それと同様に、敵が私たちを攻撃するのを許されることによって、私たちに対する信頼を表現されるのである。

クリスチャンの鍛冶屋の物語

クリスチャンになった鍛冶屋の物語をお聞きになったことがあるかもしれません。彼は、クリスチャンとして矛盾のない生活、霊的な生活を送っていたのですが、物質的に豊かになることはありませんでした。それどころか改心を経験した時から、以前よりもより多くの試練を経験するように思えました。彼の状況は、さらに悪化していきました。

ある日、クリスチャンではない友人が彼の店に立ち寄りました。そして、試練の中にいる彼に同情して友人は言いました。「君が熱心なクリスチャンになったときを境に、たくさんの苦しみが降りかかってきたように見えて、奇妙だよ。もちろん君の神に対する信仰を弱めたいと思っているわけじゃないけど、君はすべてのことにおいて忠実で、神の助けと導きを祈り求め、できる限りのことをしているのに、状況は確実に悪化しているじゃないか。なぜだろうと、どうしても考えてしまうんだよ。」

鍛冶屋は、長い間黙っていました。彼自身も、同じことを自分に問うていたのです。しかし、ついに彼は口を開きました。「ここに馬の蹄鉄を作るための未加工の鉄があるだろう。これをどうするか、知ってるかい?かけらを取って、赤くなって、ほとんど白くなるまで火の中に入れるんだ。それから、形が出来上がるまで無慈悲にかなづちでたたき続けるんだよ。それから、硬くするために冷たい水の入った桶に入れるんだ。そしてまた火の中に入れて、もっとかなづちでたたくんだ。完成するまで、これを続けるんだよ。」

「でも、時々このプロセスに耐えられない鉄のかけらがあるんだ。火とかなづちと冷たい水はそのかけらの限度を超えているんだ。それがどうしてなのかはわからないけど、いい蹄鉄ができないことだけは確かだよ。」

鍛冶屋は店の扉のそばに山積みになっているかけらを指差して言いました。「かなづちと水に耐えられないかけらは、あそこのガラクタの山に捨ててしまうんだ。もう、何の役にも立たないんだよ。」

彼は続けて言いました。「僕は、神が僕を苦しみの火の中に入れられて、かなづちでたたかれているのを感じるよ。でも、もし僕が神の造ろうとされている形になれる限り、打たれても構わないんだ。だから、この試練の中にあって、僕の祈りはただ、『望まれるままに私を試してください、主よ。ただ、ガラクタの山の中にだけは投げ捨てないでください。』と言うものなんだよ。」

ミニストリー・オブ・ヒーリングにはこうあります。「私たちが試練に耐えるように召されているという事実は、主イエスが私たちの中に発達させようとお望みになっている、尊いものがあると認めておられることを示している。もし、私たちの中に神のみ名の誉れとなるものがひとつもなければ、私たちを精錬するために時間を費やしたりはなさらないであろう。神は無価値な石をご自身の炉の中に投げ入れられることはない。神が精錬なさるのは価値のある鉱石である。かじ屋は金属の品質を知るために鉄やはがねを火の中に投入する。神はご自身がお選びになった者が悩みの炉の中に投げ入れられるのを許し、彼らがどんな性質を持ち、神の働きのために適当かどうかを試されるのである。

10.上を見上げよう!すべてのことは明らかになる [Top]

私たちは必ずしも、私たちを襲ってくる悲劇、落胆、痛みの理由を理解することはできません。しかし、いつかすべてのことが私たちの前に明らかになることを知っています。その栄光に満ちた日、私たちの主イエスがご自分の忠実な子たちを迎えにやってこられる時、彼ご自身がすべて、私たちを困惑させてきた問題の答えを与えてくれるでしょう。

「神の摂理のうちに、私たちを困惑させてきたすべてのことが、来るべき世で明らかになります。理解するのが困難だった事柄が説明されます。恵の奥義が私たちの前に明らかにされます。私たちの限界のある頭では、混乱と破られた約束にしか見えなかったことが、最も完全で美しく調和していたことであったのを悟ります。無限の愛がもっとも困難と思える経験を要求していたことを理解します。万事を益としてくださるお方の優しいお心遣いに気づく時、私たちは表現できない、栄光に満ちた喜びを経験するのです。

天国では痛みは存在することはできません。あがなわれた者たちの家には、涙も、葬列も、悲しみもありません。『そこに住むもののうちには、私は病気だ、と言う者はなく、そこに住む民はその罪が許される』(イザヤ33:24) 永遠の時が流れるにつれ、幸せの豊かな波が流れ、深まっていきます。

私たちは、まだこの世の混乱の影の中にいます。祝福に満ちた将来のことを熱心に思いましょう。信仰によって、すべての暗黒の雲を指し通し、世の罪のために死んでくださったお方を見つめましょう。主は、ご自身を受けいれ、信じるすべての者のために、天国の門を開いてくださいました。彼らに、神の子となる力を与えられたのです。私たちを痛めつける苦しみを、キリストにある高き召しという報いに向かって押し進むために、私たちを指導してくれる教訓としましょう。主がすぐに来られるという思いをいだいて励まされましょう。この望みによって心に喜びを満たしましょう。

私たちは、家に向かっています。私たちのために死なれたほど、私たちのことを愛してくださっている方が、私たちのために都を建設してくださっているのです。新しいエルサレムが、私たちの休む場所です。神の都には、悲しみはありません。悲痛な泣き声も、砕かれた希望の哀歌も、埋もれてしまった愛情もそこにはありません。まもなく重たい衣は婚礼の衣に変わります。まもなく、王の戴冠式を目にします。その生活がキリストのうちに隠されていた者、この世で信仰のよき戦いを戦ってきた者たちは、神のみ国であがない主の栄光とともに輝き出てくるのです。

私たちの永遠の命の望みの中心であるお方を、私たちが目にすることができる日は、遠くはありません。そして、主のご臨在のうちにあっては、人生のすべての試練と苦しみとは無に等しく思えてきます。『だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神のみ旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。もうしばらくすれば、来るべき方がお見えになる。遅くなることはない。』(ヘブル10:35-37) 上を見上げましょう。上を見上げましょう。そして、信仰を常に増し加えましょう。この信仰を、神の都の門を通って、あがなわれた者のために用意されている、すべてを超えて、広く限りない栄光に至るための導きとしましょう。『だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。あなた方も、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい。』(ヤコブ5:7,8)」(教会への証)

 

私が成長するのは谷間の中

時々、人生がとっても耐えがたくなる
悲しみ、困難、苦悩に満ちている
でも、その時に思い出す
私が成長するのは谷間の中でだということを

もしも、常に頂上にとどまっていたとしたら
そして、痛みを全く経験しないとしたら
私が神の愛に感謝することは決してなかっただろう
そして、空虚な生活を送っていたことだろう

私には学ぶべきことがたくさんある
そして私は成長するのがとても遅い
時には頂上が必要だけど
私が成長するのは谷間の中

いつも理解できるわけじゃない
どうして、物事がそのように起こるのか
でも確信していることが一つある
私の主が最後まで助けてくださるということを

十字架上でのキリストのことを思うと
私の小さな谷間は無に等しい
主は死の谷間を歩かれた
主の勝利はサタンの敗北だった
主よ、つぶやいてしまう私をお許しください
私がとても落ち込んでいる時
優しく思い出させてください
私が成長するのは谷間の中だということを

主よ、私に力を与え続けてください
毎日私の人生をお用いください
あなたの愛を周りの人と分かちあい
彼らがその道を見出すのを助けることができるように

主よ、谷間を感謝します
私はこのことを知っている
頂上は栄光に満ちているけれど
私が成長するのは谷間の中だということを

                                   ジェーン・エグルストン

 

 

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